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古文書が語る巨大津波

'11.9.23 放映  ABCテレビ

『古文書が語る巨大津波』感想
近畿圏でのローカル放送だと思いますが、検索すると「テレメンタリー」枠
にてテレビ朝日などでも7月下旬に放送されていたようです。

土日祝の昼間に、こういう良質な番組がコソッと放送されてたりするんです
ね。ためになる良い番組でした。
番組内容をざっとご紹介。




 陸奥の国 地 大いに振動す
 人々は叫び声をあげて地面に這いつくばり
 起きることが出来なかった
 雷のような音とともに湧き上がった潮は
 ぐるぐると廻りながらみなぎり
 たちまち城の下まで達した


(平安時代の国家の記録「日本三代実録」に書かれた西暦869年、貞観地震
の記録より)


「もちろん千年前の貞観地震、大地震があったことはわかっていたけれど、
古文書の中にちょっと記載のある限定的なデータでしかなかったので、信憑
性がよくわからない地震と(意識の中から)追いやる、あるいは無意識のう
ちに無視してしまう、自然とそういうふうになってしまったんだと思う」
~東京大学の古村教授(地震学)

しかし、貞観地震のわずか12日後、京の都では祇園祭・山鉾巡行の前身であ
る「御霊会」が行われ、厄よけが祈られている。当時の諸国の数と同じ、66
の鉾を立てた。当時の天皇は、地方で続発する災害を恐れていたと思われる。
また、当時26歳だった菅原道真は、貞観地震の翌年に国家試験「方略試」に
て「地震とは何か」を問う難問に苦しんだそうだ。


日本の防災対策の指針を定める中央防災会議でも、今回の東日本大震災での
大津波を想定出来なかったことを反省し、これまでの地震対策の考え方を改
める異例の中間報告で、二つの反省すべき点をあげている。
1つは古文書に書かれた地震を考えに入れなかったこと
もう1つはM9クラスの地震は日本にこないと根拠無く信じていたこと

震災後、南海トラフでM9クラスの地震が起こったというシミュレーションを
行うと、各地でこれまでの想定の倍以上の津波が来る解析結果が出た。
地震発生直後に潮岬で5.5m、室戸岬で7.7m、20分以内に尾鷲で10.8m、田
辺港で11.1m、高知港で13.5m。そして内海の大阪港でも4m以上の津波が
長時間押し寄せるという。

大阪港にある防潮堤や水門が地震で破壊されたり、液状化で下がってしまっ
た状態で津波がくると、大阪市の大部分が水没することになる。

実は大阪は過去何度も津波に襲われていたのだ。


 十一月五日七つ時 大地震となり候ところ
 暮れ方より 二丈あまりの大津波うちきたり
 道頓堀川大黒橋まで 千五百余艘の大船押しのぼり
 船の上に舟 二重三重に重なり 亀の甲羅を干すがごとく


(1854年安政の大津波を伝えるかわら版より)


大阪ではその150年前の宝永地震でも同じような被害があった。市内にある
石碑には「年月が経ち伝え聞く人もほとんどいなかったため、今また同じよ
うに多くの人が犠牲になってしまった
」と、その教訓がいかせなかったこと
を悔やんだ文がある。

その石碑にはこんな一文もある。
心ある人は是非、毎年、墨を入れて文字を読み易くして欲しい
津波の恐ろしさを、後世の人々に残したい悲痛なまでの思いが伝わってくる。



大阪に津波をもたらすのは、南海トラフによる大地震。90年から150年とい
う間隔で発生している。1707年の宝永、1854年の安政の大地震という江戸
時代の地震は古文書も多く残っており、史料として防災対策に活用されてい
る。しかし、それ以前の大地震については手がかりも少なく、防災対策には
使われていない。この「無視された地震」が江戸時代の二つの地震より被害
が大きかった可能性もある。
番組では1361年の正平南海地震に注目する。

奈良の法隆寺。ここに一冊の古文書がある。「斑鳩嘉元記」。大阪を襲った
津波の記述がわずかだが残されている。

 四天王寺金堂が壊れ倒れた
 また安居殿御所西浦まで潮が満ちて
 その間の家の人々が たくさん亡くなったということだ



四天王寺は現在とほぼ変わらぬ規模であった。
安居殿御所西浦とは、四天王寺から坂を下ったところにある、今の安居神社
ではないかと考えられる。天王寺の辺りまで津波が来たことになる。

「太平記」には引き波で干上がった大阪湾に無数の魚が跳ねているのを多く
の漁民が取りに走り、押し寄せた津波に皆飲み込まれた記述がある。

先に紹介したシミュレーションの結果と、上町台地の西側がほぼ全域浸水し
た正平南海地震の津波の記録はほぼ一致する。新たな南海地震によって現代
の大阪を津波が襲うかもしれない。
もちろん、津波だけではなく地震の揺れにも警戒は必要だ。

南海地震では地震発生から約40秒後には強い揺れが大阪平野に到達、その後
3分以上にわたって揺れ続けると考えられる。
阪神大震災では神戸の揺れは約20秒間。

揺れが収まった後、足元には液状化現象が広がる可能性が高い。
大阪は昔、東大阪のあたりまで広い範囲で海だった。かつて海だった場所は
液状化しやすい。堺市の内陸部や東大阪市の遺跡にて、液状化の跡も見つか
っている。決して、沿岸部の埋め立て地に特有のものではないのだ。


高知大学が土佐市で海岸近くの池底を地層調査している。通常はヘドロ状の
ものがたまるが、所々に砂の層がある。これが津波の跡だと想定出来るのだ。
1707年の宝永地震と思われる砂の層は20cm、1361年の正平南海地震と思
われる砂の層は数cm。だが約2000年前と思われる地層には約50cmの砂の
層があるという。



番組ではさらに、明応の東海地震を取り上げる。
1498年の明応東海地震。この地震で浜名湖にあった宿場町がこつ然と姿を
消したという。鎌倉・室町時代に浜名湖の辺りを旅した人の記録では、必ず
橋本という宿場町と170mもある浜名橋が出てくる。しかし、地震の翌年に
旅した人の紀行では、橋本の地を避けるように船で移動して浜松に向かって
おり、それ以後は橋も橋本に宿泊する記録も無い。地震による津波で消えて
しまったと考えられる。

この歴史的な地形変化をもたらした大災害も、現代の防災対策では想定外に
おかれている。交通の大動脈が通るこの地域を、また大津波が襲うかもしれ
ないのだ。


地震学と古文書学。今回の大震災でこの二つの学問はこれまで以上に近づい
た。しかし、まだまだ解明出来ない空白が存在する。
この空白を埋めるのは、私たちの「想像力」だ、と地震学者は語った。

例え断片的でも、先人たちが残した声に耳を傾け、一人一人が想像力を持っ
て未来の災害を予測することが必要なのではないだろうか・・・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


大阪で津波。あまり想像出来ないです。
港区とか大正区ぐらい、あと地下街はヤバいかな、とは思っても、大阪市の
上町台地を除くほぼ全域が・・・とは。。。



大阪のJR大正駅近く、大正橋にある安政南海地震の石碑はローカルニュース
で観た覚えがあります。今でも保存運営委員会により、毎年石碑を洗って刻
まれた文字に墨を入れられているそうです。

消防防災博物館:見て学ぶ-11.大正橋の石碑文-



東日本大震災でも「此処より下に家建てるな」と記された先人の石碑があっ
たことがニュース等で紹介されていました。昔の人々が残した古文書、石碑、
言い伝えに、もっと現代人は注目するべきなのでしょう。

先の大震災では「想定外」と至るところで語られました。この番組で言って
いたように、想像力を働かせ、大きな地震・津波を予測しておく必要がこの
日本という国に住む限り、あるのは間違いありません。



テーマ:ドキュメンタリー - ジャンル:テレビ・ラジオ

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