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ザ・スクープSP 誰も知らない玉音放送

11,8,14深夜放映 ABCテレビ

毎年、この時期には先の大戦に関わる特番がいろいろと放送されます。今年
もいくつかの番組を視聴しましたが、ここでテレビ朝日系列にて放送された
「ザ・スクープスペシャル 終戦特別企画 
 誰も知らない「玉音放送」~"日本のいちばん長い日"の真実~」
について。
まずは内容を紹介。


玉音放送に至るまで、実は短波ラジオを使った日米和平交渉「ピーストーク」
が行われていた。アメリカからの放送は「アメリカの声(VOA)」という番組
で、声の主は海軍大佐エリス・ザカライアス。大佐は戦前に米国大使館付き
武官として来日し、昭和天皇の弟、高松宮殿下が新婚旅行で訪米した際にも
エスコート役を努めた親日派。日本における皇族の重要性を熟知していた大
佐は、放送の目標を鈴木貫太郎首相、さらには昭和天皇自身として和平を呼
びかける。

14回に渡って呼びかけられた放送に対し、政府直轄の放送機関・同盟通信海
外局の井上勇が答えていた。和平を口にするだけで軍部に目を付けられる時
代。危険を承知で氏は短波ラジオで和平への道を探っていた。
果たしてザカライアス放送の一部は昭和天皇にも伝えられていた。昭和天皇
は「これはアメリカの謀略だったら大変だ。謀略と知りながらも乗っていく
だけの勇気が無ければ情勢を打開できない(外務大臣秘書官(当時)・加瀬俊一
の証言)」と語られたという。

日本は、和平の受け入れには国体護持を重要案件としていたが、ザカライア
ス大佐は「大西洋憲章第3条(戦後、全ての人々が政府の形態を選ぶ権利を保
証する)に基づき、戦後の天皇制維持は可能」と示唆する。日本政府もザカラ
イアス放送は注目に値する、として和平への道は進むかの様に見えた。

しかし、事態は一変する。日本は無条件降伏=国体護持を捨てることを求め
るポツダム宣言が発表されたのだ。大佐の努力を無にするものであり、大佐
は激怒したという。8月4日、ザカライアス放送は実を結ぶこと無く最後の
放送を終えた。

広島に原爆投下された二日後の8月8日、ある男が昭和天皇に謁見する。彼
の名は下村宏。内閣の情報局総裁、当時の日本のメディア王である。下村は
強硬な軍部に対抗する秘策として、玉音放送=天皇陛下ご自身が国民に語り
かけること、を進言したのだ。
その夜、ソ連が宣戦布告、そして長崎に原爆投下。一刻の猶予もなかった。

9日深夜、御前会議が始まった。会議は紛糾したが、首相鈴木貫太郎は異例
の天皇陛下の御発言を求め、昭和天皇は戦争を止める決心をした、と語る。
ついに聖断が下った。10日夜、ラジオ東京から英語放送で天皇の大権が侵さ
れないという了解のもと、ポツダム宣言を受け入れると呼びかけられた。
米国本土では「日本、無条件降伏」と大々的に報道され、日本国民が知る5
日前には世界中が日本の敗戦を知っていたことになる。

玉音放送の原稿でもある「終戦の詔書」の作成は混迷を極めた。案は9種類
もの草稿が重ねられる。詔書の起草責任者は内閣書記官長・迫水久常。終戦
への動きを察知した一部の軍部から命を狙われる危険を感じながら、詔書は
作成された。
御前会議にての昭和天皇の言葉を元にした「耐え難きを耐え、忍び難きを忍
び」は迫水の第一案から既にある。「萬世の為に太平を開かんと欲す」や原
爆に関する言及はアドバイスを求められた陽明学者・安岡正篤によって加え
られた。

国体護持が守られるかどうかで、軍では一部青年将校らによるクーデターの
動きもみられた。14日に再度御前会議が開かれ、昭和天皇が「自分の身はど
うなってもよい」と二度目の御聖断を下す。

午後3時、NHKスタッフが宮内庁入り、録音の準備を始める。
4時過ぎ、準備完了。6時から録音開始を伝えられる。
しかし、7時になっても始まらない。実は詔書の最終案にもまだ、修正が加
えられていた。完成し、昭和天皇の署名が入った終戦の詔書が完成したのは
午後8時半であった。
午後11時25分、録音が始まった。無事に終了したが、昭和天皇自らが再度の
録音を希望、二度目の録音が行われた。放送されたのはテイク2だった。

玉音放送の録音が行われた1時間後、近衛師団司令部にて1発の銃声。師団
長が若手将校により射殺されたのだ。玉音盤を奪回せんとするクーデターが
発生した。反乱軍は皇居を出ようとするNHK技術者を襲撃、監禁するが玉音
盤は持っていなかった。反乱軍は宮内庁に乱入、通信網を遮断する。陸の孤
島と化した皇居で玉音盤の大捜索が始まる。
玉音盤はどこに隠されたのか。宮内庁の侍従が預かり、多数の書類に紛れさ
せて金庫の中に保管されていたのだった。
宮内庁では外部に連絡を取ろうと模索、海軍武官が海軍省に直通電話を持っ
ていたのが生きていた。これが田中静壱東部軍司令官の所に通じる。15日の
午前6時、東部軍が反乱軍を鎮圧、クーデターは未遂に終わった。
12時、玉音放送は無事に行われ、日本の敗戦が国民に伝えられた。

アメリカ国立公文書館に保管されている、ピーストークに関する資料の最後
は、8月26日に行われた対米放送に関するものである。
「我々は最終的な破壊(原爆)の前に降伏したが、交渉による和平を得ること
ができなかった。そのことを忘れてはならない」

戦後、ザカライアスに東京に駐在している海軍時代の同僚から一通の手紙が
届いた。
「高松宮殿下が晩さん会で私にこうおっしゃった。『ザカライアスの放送は、
和平推進派が本土決戦を主張する軍部を打ち破るのに必要な弾薬のようなも
のだった。もし戦争が続いていたら、お互い間違いなく、最悪の結果を迎え
ていたでしょう』」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「日本のいちばん長い日」という評価の高い映画があります。いつか観なけ
れば、と思いながらも私はまだ観ていないのですが、この番組を観て改めて、
「あー、観なきゃなー」と痛感。

玉音放送の録音時に関しては、数年前にNHKスペシャルだったか、放映され
たのを観た覚えがあります。
ザカライアス大佐に関するエピソードは全く知らなかったので、興味深く観
ることが出来ました。
「終戦の詔書」案が9種類あったのが発見されたのが1981年であり、どの
あたりがスクープだったのかは分かりませんが、構成としてよく出来ていた
番組だと思います。
「終戦の詔書」を「非核平和宣言」だ、としたのは少々強引な気もしますし、
最後の鳥越キャスターのコメントも「?」でしたけど。


8月11日にはアメリカ中が終戦を祝って大騒ぎだった、というのも何か複雑
ですね。この4,5日間にも多くの兵士が各地で命を散らしていったでしょう。
空襲も変わらず行われ、一般市民も亡くなっているのですから。
8月14日には大阪大空襲があり、京橋駅周辺で多くの人が犠牲になったこと
は大阪人なら多くの方がご存知だと思いますが、これなど、必要性のある攻
撃だとは全く思えません。米国は手持ちの爆弾を「在庫処理」したかっただ
けなのではないか、と腹立たしくなります。

もっとも、そんな状況でもなお一億総玉砕と戦争継続を主張した軍部がいた
からこそ、天皇による終戦の詔書をラジオ放送する、という作業が必要だっ
たのですね。



今年はこの番組以外にも、「圓の戦争」「渡辺謙アメリカを行く“9.11テロ”
に立ち向かった日系人」「原爆投下 活かされなかった極秘情報」などの番
組を観ました。
日中戦争、太平洋戦争を経済から見た「圓の戦争」はさすがNHKという感じ。
面白かったです。高橋是清という人材は本当に惜しかったなあ、と痛感。
「原爆投下~」は知り得た情報を活かさなかった、隠したという事実を観て、
今の政府の福島原発事故に関する情報公開の不手際を連想した人も多いので
はないでしょうか。必要な時に必要な情報を流さなかった代償。その大きさ
は5年後、10年後に福島で、北関東で、日本中でとんでもない形で現れるか
も知れないのに。。。


8月だからこそのプログラムたち。まだ観ていないのもHDDに残ってます。
撮りっぱなしにならないようにしないと・・・・・
アナログ放送時に使っていたHDDレコーダーにはそんな感じで結局観てない
のがイッパイありましたからね(笑)。






 

テーマ:ドキュメンタリー - ジャンル:テレビ・ラジオ

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